マエストロ都築の部屋
Weiche, Wotan! Weiche!
びわ湖ホールのワーグナー《ラインの黄を観る
「楽劇のことに詳しく観てもいず 舞麦」では困るので、今年の名古屋オペラ・サロンのオペラツアーは、びわ湖ホールへワーグナーの《ラインの黄金》を観に行った(2017/03/05)。バスの定員一杯の49名で、別に5名が新幹線や自家用車で出かけた。
 お昼は琵琶湖ホテルに集合。まず、景気づけに、北欧神話らしく、ヴァイキング料理で飲めや騒げの大宴会を催した。食べるだけ食べて、飲むだけ飲んだら、比叡山を後ろに、琵琶湖畔を左に見ながらそぞろ歩きでびわ湖ホールへ向かう。そよ風に酔いを醒ましながら、春爛漫の霞に揺れる湖水と若葉を近江の人と楽しむ。
初めに振動ありき
 さあ、客席に座って開幕を待つ。《ニーベルングの指環》序夜の《ラインの黄金》は、厳かに宇宙の創造から始まる。バイロイト祝祭劇場で《ラインの黄金》を観たときには、ホールが先ず真っ暗になり、いつ指揮者が登場するのか分からず、したかも分からず、序奏がいつ始まるかも分からない。しばらくすると、身体にかすかな振動が伝わってきた。なんの音もしない。ブルブルという振動だけだ。そのうちにブ~ンという響きが聞こえてきた。「冷房が入ったのかな?」と思ったら、むろんそんな無粋なことではない。もう、音楽は始まっていたのだ。宇宙創造の始りのように、「初めに振動ありき」だ。8挺のコントラバスが一斉に低い変ホ音だけを最弱音でブルブルと奏いていたのだ。びわ湖ホールでも、バイロイトよろしく、指揮者の沼尻竜典が拍手を避けてそっと現われて指揮棒を降ろしていたのだろう。
  響きと共に、もう舞台上の幕は開いている。そこにはスクリーンプロセスで、銀河が渦巻いて動いている映像が映っている。とてもきれいだ。ハッブル宇宙望遠鏡が捕らえた映像だろう。ミヒャエル・ハンペ演出だが、私なら、山上でヴォータンがヤリを構えている「ηカリーナ星雲」の映像をここにこそ用いたい。オーケストラはドンドン楽器を増やしていき、ついにはフル・オーケストラの総奏でクライマックスを築き上げ、倍音楽器のホルン8本を中心に金管が、「ブワ~ン」と轟音を吹き鳴らす。なんとも雄大で、まさにビッグバンだ。
  ただ、当日の京都市交響楽団の演奏には、「示導動機性」が薄く、音楽を楽器で語るだけの力量が不足している。やはり、「示導動機」は、それぞれに、固有な「者」(ラインの乙女、ローゲ、フライア、巨人、エルダなど)と「物」(自然、指環、ワルハラ城、鍛冶、黄金、隠れ兜など)と「感情」(呪い、怒り、苦痛、など)との「意味とイメージ」を指し示す「個性的な動機」でなければならない。観客に、それをそれらしく気づかせるには、「入り」(アインザッツ)に、それ相応の「思い入れ」、すなわち「溜め」が欲しい。歌でいえば「ブレス」(息次ぎ)だ。オペラ慣れしていないオーケストラは、いきおい、手段と段取りとやっつけ仕事で楽譜だけを奏いてどんどん先へ行く。交響曲の「域」と「粋」から出られない。
準古典主義な演出と衣装
 さあ、いよいよ、ラインの三人の乙女たちが登場する。ミヒャエル・ハンペの演出も、ヘニング・フォン・ギールケの装置と衣裳は極めて常識的で、「カジ・クラシック」(準古典主義:quasi-classic)といっていいものだ。ここには、神話だけがもつ猥雑さや神秘性や非道徳性はなく、オペラ的な狂乱の場も威圧的な合唱もない。ハンペの演出は、すべてに渡ってワーグナーの台本に忠実で、ラインの乙女も若い華やかで色っぽい「嬌声」(きょうせい)を発する神話の少女だ。決して、旅人たちに媚びを売る売春婦仕立てではない。オペラツアーに集まった方たちは、オペラを初めて観るという上品なご夫妻も多く、まずはこの演出に安心。悪の枢軸ニーベルング族の首領アルベリヒも、あまりグロテスクではないので、悪漢ながらそれなりに好感が持てる。
 建設費を受けとりに来る二人の巨人も、とてつもなく大きい。普通の人間の3倍はある。これまでのバイロイトの肩車巨人よりもはるかに大きい。どうやら櫓(やぐら)を組んでその上に歌手が乗り、下に人が数人入って車輪を押して動かす。肩車から車輪にハイブリットされたのだ。その手品のタネは、カーテンコールで巨人が上半身と下半身に分かれて登場してばらすことになっている。
 さあ、そこへテノールのローゲの登場だ。途端に叙事詩的な楽劇も、叙情性を帯びてくる。ローゲが歌う美と青春の女神フライアの姿は、まことに美しい。古い世代の巨人ファゾルトは、プロレタリアの弟巨人ファフナと違って、金よりもフライアを選ぶはずだ。悪知恵の働くローゲは、巨人二人を説得して、建設費をニーベルング族の金塊で支払うことを承知させる。
 金塊を奪いにニーベルング族の地下の国ニーベルハイムへ降りていったヴォータンとローゲは、アルベリヒをだまして、まず、大きな竜に化けさせる。この竜の大きなこと。ここでも、スクリーンプロセスが活躍する。舞台一杯に、竜がのたうち回る。「うわー、うわー! なんて恐ろしい大蛇だ! おれを食うんじゃない! ローゲの命ばかりはご勘弁を!」とローゲならぬわたしたちも思わず悲鳴を上げたくなった。
暗黒物質としてアルベリヒの呪い
 ヴォータンとローゲは、まんまとアルベリヒをだまして、天上の神々の世界に連れてくる。身代金に黄金を要求して、ついでにラインの黄金で作った指環と隠れ頭巾も奪ってしまう。アルベリヒは、世界を征服できる指環さえあれば、神々の王国も征服できると高をくくっていたので、指環を要求されたときには、思わず肝をつぶした。
アルベリヒ
 恥ずべき悪だくみだ、汚い詐欺だ!
 お前は、俺の罪を非難するが、泥棒のお前にとってそれは好都合だったのではないか?
 もしも、指輪を鋳直すことさえたやすく出来たなら、お前だってライン河に 黄金を奪いに出かけたのではないか?
 ニーベルング族のこの俺が、恥ずべき苦しみにまみれ、こみあげる怒りにまかせて、恐るべき魔力を手にしたおかげで、いまお前がその果実を味わっているということは、偽善者のお前にとって、なんとも有難いことだったのではないか?。
 気をつけるがいい、俺は悪事を行ったが、それは俺の勝手だ。
だが永遠生きる神々の王であるお前は、かつてあったもの、いまあるもの、これからあるもの全てに、悪事を働くことになるのだぞ。
 ヴォータンはいっかな聞き入れない。アルベリヒの指を切り落として指環を奪います。アルベリヒは、ここで恐ろしい呪いの言葉を吐きます。
アルベリヒ
(地面から立ち上がりながら) 自由なのか?俺は?
(激しい怒りのあまり笑いに変じながら) 本当に自由なのだな?
ならば、俺の自由を祝って、お前達に最初の挨拶をしてやろう。
 俺が呪いを込めて造ったように、この指輪もまた呪われよ!
 指輪の生み出す黄金が、俺に無限の権力を与えたように、
 指輪の魔力よ、指輪の持ち主に死をくだせ!
 どんな陽気な男も、指輪とともに、明るく生きることはできず、
 どんな幸福な男も、指輪の光の中で、幸せではいられない!
 指輪を持つ者は、不安にやつれ、持っていない者は、嫉妬に苦しむ!
 誰もが指輪を持ちたいと望むのに、
 指輪から利益を引き出す者は一人もいない!
 何かの用に使わずとも、持ってさえいれば、
 その身に死神を招いてしまう!
 臆病者よ!死の運命に恐れおののけ!
 生きている間は、欲望に苦しみ、最後は野垂れ死ね!
 指輪の持ち主は、俺の手に奪われた指輪が戻ってくるその日まで、指輪の奴隷なのだ。
 この赤っ恥をかいたこの俺は、この指輪に呪いをかける。
さあ、持っているがいい。
 せいぜい大事にするがいい。
 お前はもう俺の呪いから自由になることはないのだ!
 このアルベリヒの呪いは、ただにヴォータンに投げつけられただけではなく、この世のありとあらゆる強欲な者たちに向けられたものであることを、例えばあなたは、ご存知か?
 このときのアルベリヒ退場の音楽は、この《ラインの黄金》全編のなかでももっとも陰惨で怒りのこもったものでなければならない。アルベリヒのこの「呪い」こそが、《ニーベルングの指環》全4作を貫いて覆い被さる「暗黒物質」(ダークマター)だからだ。オーケストラに、もっと「溜め」と「思い入れ」が欲しかった。
ワーグナーのユーモア
 ただ、ハンペの演出の上品さが感興を欠くこともあった。ワーグナーのユダヤ人的な性的なユーモアが効いてこないうらみがある。巨人たちは、支払いの担保に若き美人のフライアを一時連れて帰る。また、戻ってきたときに巨人の兄ファゾルトはいう ― 「俺たちは、フライアの面倒を十二分に見てやったぞ」。むろん、弄(もてあそ)んだのだ。真面目な演出家なら、ここで、フライアがファゾルトにしなだれかかったりするシーンを大げさに演出するのだが……。
 地の女神で知の女神エルダが、地下から地面を割って現れる。"Weiche, Wotan! Weiche! " (避けなさい、ヴォータン、災いを避けなさい!)。何百年も生きてきた割りには若いエルダだ。ヴォータンはエルダには頭が上がらない。彼にこの世のことをすべて知る知恵を授けたのがエルダだ。そのお返しにヴォータンは片目をエルダに差し出した。9名のワルキューレの乙女たちも、ヴォータンとエルダの間に生まれた娘たちだ。エルダが現れると、途端にヴォータンの妻フリッカの機嫌が悪くなるのは、人間的で面白い。結婚の女神フリッカは、夫に妻以外の女性の存在は許せないのだ。フリッカが、女性的な感情を見せる場面がもう一つある。ローゲが、「巨人たちには地下のニーベルング族の黄金を奪ってきて渡せばいい」と言ったときに、フリッカはローゲにささやく ― 「その黄金で、美しいアクセサリは作れないかしら?」。
霊剣、灼(あらた)かなり
 最後のシーンで、ヴォータンが舞台前面、プロンプターの位置近くに刺さっていた長い剣を引き抜いて、高々と飾した。「あの剣はなんですか?」と帰りのバスの中でみなさんに訊いたら、「ノートゥング!」とみなさん一斉に答えた。さすが、名古屋オペラ・サロンである。「正解!」。次回の第1夜《ワルキューレ》で活躍する霊剣ノートゥングが、この幕切れだ早々と登場したのだ。むろんこれは、ヴォータンが、びわ湖ホールの支配人に頼まれて、次回公演(来年の3月4日)の宣伝をしたのではない。じつは、この剣をヴォータンが高く頭上にかかげるのは、もともと、ワーグナーが舞台稽古のときに指示したことなのだ。1876年のバイロイトでのこと、ワーグナーは、ヴォータンにファフナーが置き忘れた剣を拾い上げて振り上げるようにいった。負け戦(いくさ)を戦うことになったヴォータンであったが、まだ《指環》はあと三部つづく。世界征服をあきらめていないことを示さなければならない。さすがヴォータン、いや、ワーグナーは、当然、この時点でノートゥングによる大蛇ファフナー殺しを考えていたのだから……。
 幕切れでも、スクリーン・プロセスが活躍した。美しく七色に輝く虹の橋を神々が渡って、ワルハラ城へ入城していく。ジャンジャガジャン、ジャンジャガジャンといつまでも鳴り響く音楽と共に、この空中遊泳のシーンは圧巻だ。拍手はなりやまず、ブラボーの声がいつまでも聞こえていた ― 「さあ、来年も来よう」。いや、あと三年はつづくのだ。
 2時間半があっという間にすぎた。私は、全体が見渡せる後ろの席であったが、観客はだれ一人頭を動かさないのに驚いた。みなさん、最後までジッと集中して舞台を観ていたのだ。大成功の《指環》上演であった。
 犬山城が売りに出たとき、買おうと思った。むろん、天守閣から眼下に日本ラインが見渡せるので、このお城をオペラ・ハウスにして、毎晩、《ラインの黄金》を上演させようと思ったからだ。資金的な問題もあったので、当面、びわ湖ホールの《ラインの黄金》の感激で我慢することにした。
※舞麦とは  舞=マエ 麦=ストロ マエストロ
【資料】
びわ湖ホールプロデュースオペラ  (ドイツ語上演・日本語字幕付)
指 揮:沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)
演 出:ミヒャエル・ハンペ
装置・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ
管弦楽:京都市交響楽団
【資料】ミャエル ハンペ
国籍:ドイツ 専門:オペラ演出家;舞台美術家 肩書:ケルン音楽大学教授 生年月日:1935/6/3 学歴:ウィーン大学;ミュンヘン大学;他  1984〜90年カラヤンとともにザルツブルク音楽祭 ’93年〜2000年ドレスデン音楽祭総監督 ’98年東京の新国立劇場でモーツァルトのオペラ「魔笛」を演出。2007年オペラ「セヴィリアの理髪師」演出で来日。
【資料】沼尻 竜典 (ぬまじり りゅうすけ)
所属: 桐朋学園大学教授  担当: 指揮、オーケストラ: 芸術学士
 ロンドン響、モントリオール響、シドニー響、ベルリン・ドイツ響、等欧米各国のオーケストラを指揮。これまで、名古屋フィル常任指揮者、日本フィル正指揮者を歴任。
 オペラ指揮者としては1997年 デビュー以後、ミュンヘン、ベルリン、シドニー、新国立劇場など国内外の劇場で指揮、2007年より びわ湖ホール第2代芸術監督に就任。