舞鶴いま むかし

 私が舞鶴へのバス旅行に参加すると言うと、 「金子さん、舞鶴はなつかしいでしょう、岸壁の母とか ・・・・・」と若い会員が訊いてきた。
 私はわざと首を傾げて「さあ、あまり知らないけど。それ程の年じゃないし」と相手を笑わせておいたが、ハイ、勿論よく存じてます。シベリアに連れて行かれた息子の帰りを待ちに待って、結局会えずに亡くなった母の物語。 当時、「もしや、もしやにひかされて ・・・・」の歌詞には誰もが涙を誘われましたね
 そして舞鶴はシベリア帰りばかりでなく、大陸に渡った満蒙開拓団の人たちが命からがら引き揚げてきた港でもある。
 偶然5月中旬に、旧満州への旅行をひかえていた私にとっては、特に舞鶴引揚資料館には興味があった訳なのだ。
しかし見学後、海外での軍事行動を容認する、最近の政府の動きに改めて不安を感じてしまったのだが ・・・・・。
快晴の舞鶴港は、戦争の影なく明るく光っていたが、やはり軍港。湾内には何隻かの自衛艦が停泊していた。最新のハイテク軍用機器を搭載したイージス艦も並んでいる
シルバーグレイのスマートなその姿は、憲法9条を守る会々員の私の目にもカッコよく映った。艦上の乗組員は小さく見えて、イケ面とフツーの顔の人との区別はつかなかったけれど。
舞鶴は、初めて行ったところなのに、なつかしい街でした。
売店で買ってきた「海軍さんの金曜日カレー」も素朴な肉じゃがカレーで、なかなか美味しかったです。
     <K563 金子>
  K.563 金子さんの ブロク゛ルナハウスから 
    (ディベルティメント)K563礼賛
         をご覧ください
 私がこの曲を好きになってから40年にもなりますが、いまだに愛着が深まっています。なぜと聞かれても理由が多すぎて困るのですが、この曲が持つ明るさ、楽しさ、美しさ、純粋さ、そして澄み切った青空のような、宝石をちりばめた星空のような・・・・つまりモーツァルトの音楽の象徴であるような魅力に惹かれるからでしょう。この曲が作曲された1788年秋といえば、彼の体調は悪くなる一方で、家計も火の車であった事を考えると、この曲に溢れている輝かしさが信じられませんけれど。
 この曲は6楽章から成り、変ホ長調が基調です。明るいのは当然かも知れませんが、随所に短調に転調して、明るいなかにふっと哀愁と陰りを感じさせる、これもモーツァルトらしい魅力なのです。また、第4楽章以降に織り交ぜてある舞曲の楽しさも、魅力のひとつです。モーツァルトはダンスが好きで、パーティーでも踊りまくっていたとか(私も一曲お相手したかったな~)。
 この曲はバイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏です。弦だけの、異種の楽器のまじらない気安さがあるかわりに、対等の力を持った三つの弦楽器がバランスよくハーモニーを奏でなくてはなりません。それだけに舞台で演奏するのは難しいと言われ、生演奏に接することが少ないのが残念です。
 当モーツァルト協会主宰のコンサートでK563が演奏されたことは4回あります。新しい会員の皆様にご紹介しましょう(何分私は年齢のわりに古~い会員でして)
<1982・10・25   今池芸音劇場>
 この頃、林さんという女性ヴァイオリニストを中心に活動しておられた弦楽四重奏団に演奏していただきました。熱演でした。林さんには、その後も当協会のために栄の岩本真理記念ホールに出演していただき、親しくお話する機会もあったのですが、間もなく病気のため亡くなられたと聞き、寂しく思います。
<1995.7.19  銀行協会> 
<2009.4.29  東区文化小劇場>
 この2回はNHK交響楽団の弦楽メンバーに出演していただき、2回とも盛会でした。三人の実力ある演奏者がバランス良く端正に演奏され、さすがの名演でした。 銀行協会の時には、「どなたがK563の会員の方ですか?」と訊かれて、手を挙げてお礼を申し上げた、ということもありました。
<2016.6.13
    電気文化会館 ザ・コンサートホール>つい先月です。
 チェコのペラント・デュオ + フルート奏者・小出信也
  バイオリンのパートをフルートが演奏する、というバージョンでした。たしかに高音のフルートはバイオリンと入れ替わっても違和感はなかったですね。ペラント・デュオは若々しく(特にヤンさんは長身のイケ面、紹介してほしいな)、疲れを知らぬエネルギッシュな演奏でしたし、小出先生のフルートは第6楽章の高音のメロディーなど晴れ晴れと奏でていました。
それ以外の2つの演奏会もご紹介しましょう。
<2002.4.29 スタジオ・ルンデ>
 チェコから来日した、モラヴィア弦楽トリオ。国際的に活躍しているアンサンブルと聞きました。
 たしかに緻密であって尚余裕も感じさせる見事な演奏で、一緒に聴いていた夫なども(モーツァルト・フアンという訳ではなかったのですが)感心していました。私のほうは、何よりも伝統あるヨーロッパの雰囲気に気持よく浸っていました。

モーツァルトの音楽を理解し、終始好意的であったプラハ。そのプラハが好きだったモーツァルトも、やはりヨーロッパの音楽家だったのですね。<モラヴィア弦楽トリオ>
<2014.5.11   松山・高畠華宵大正ロマン館> 
 松山モーツァルト協会々镸の西村先生からお誘いを受けて、文字通り飛んで行きました。五月晴れの朝、飛行機の窓から見下ろす紺碧の瀬戸内海は、ご機嫌なモーツァルトのように、明るく楽しげに光っていました。レトロな造りの大正ロマン館でのK563も、雰囲気ぴったりの演奏でしたね。この曲の演奏では、3本の弦のうちでも特にヴィオラのすぐれた技能が要求されるのですが(モーツァルト自身もよくヴィオラの役を買って出たようです)、今回はふたりの女性を相手に、西村壮さんが力強くヴィオラを弾いていらっしゃいました。
 
松山・大正ロマン館にて
 ディベルティメントは聴く人々を楽しませるための音楽です。難しい作曲技法や、演奏能力を云々しなくても、自然体で音楽の楽しさを味わえばよいと思います。K563は高い芸術性も併せ持つゆえに、演奏者や聴衆が気構えてしまうことがありますが、そんな必要はないのです。 明るく晴れた空のような、生きていることが幸せに思えるようなこの曲・・・・モーツァルトが短い生涯の晩年に創ったこの贈り物を、できる限り長生きして(!!)楽しみましょう。
 もう一遍の金子さんのエッセイを転載します。
 ご本人のブログ2016・12.1 から
ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
ワーグナーのオペラは苦手です。
長~い、難解である、押しつけがましい、人物ごとのライトモチーフなどを覚えるのが面倒である、オーケストラ特に金管楽器のボリュームに圧倒される、和音が少なくくつろげない、
情緒的でないので感情移入ができない……。以下省略。

 敬遠しているワグナー・オペラのなかで、私が唯一好んで観ているのが「トリスタンとイゾルデ」です。数多いオペラの殆どはA boy meets a girl ,男女の出会いとその恋模様が喜劇なり悲劇になつていますが、このオペラで歌い上げられる宿命的な愛と、死によるその完結は類を見ないもの。究極の、大人の恋愛オペラである、と私は思っています。
 今回のメトで演出したM.トレリンスキーはポーランド生まれで、ポーランドの国立歌劇場芸術監督だそうですが、シュールなセンスの人。
 簡素な舞台装置で、このオペラのテーマに欠かせない「夜Jと「海Jを表現しています。操舵席の丸窓から見えるのは常に暗い夜の海。
 不吉にうねる波が未来の運命を暗示します。丸窓がタロットカードの「Wheel of fortune・運命の輪」でしょう。最後に傷ついて息絶えるトリスタンも、その傍で自死するイゾルデも、舞台ははるか表面に雲のただよう、海の底なのです。

 今回のイゾルデの激しさには驚きました。婚約者を殺された怒り、敵王の花嫁として連れて行かれる屈辱を絶唱してトリスタンを打ちのめします。次に毒薬と間違えて飲む媚薬ですが、私の持論として、お互いにひかれ合う潜在意識がすごく強いはずなので、媚薬は蛇足だと思っていまして、現にこのシーンのない演出もありました。しかし、今回のように激しい憎しみに燃えているイゾルデには、その激情を恋情に転換させるため、また罪悪感があるために一歩退いているトリスタンを踏み出させるために必要だつたかと思い直したりしました。
(ニューヨーク・メトロポリタンオペラハウスは今年で50年を迎えたそうです)
   2幕目では恋の成就と歓喜が歌われますが、ここでもイゾルデの情熱のほうが激しい。
 彼等は常に不倫の情事が明るみに出ることを恐れて、夜の間のなかでしか会えません。危険な時は灯りをつけておくことになつています。しかし、イゾルデは用心を忘れて灯りを消してしまいます。恋は盲日、侍女の警告も耳に入らないのです。

 王の侍臣・メロートの奸計により不倫が明るみに出た時、 トリスタンの裏切りを嘆くマルケ王を見て、自分の罪の深さを改めて悔い、死のうとしたのもトリスタンが先でした。
 携帯していたピストルで自分の胸を撃ち、血が流れました。(ここは簡単に死ねる銃でなく、自虐的な剣のほうが似合うような気がしますが・‥‥)。
 三幕目はご存じトリスタンとイゾルデの終焉の場面。
 深い傷を負ったまま、 トリスタンはイゾルデを待つています。船が姿を見せたら笛が吹かれるはずが、なかなか笛の音は聞こえない。すでにトリスタンは死を待つていて、イゾルデ到着のはずが、なかなか笛の音は聞こえない。
 すでにトリスタンは死を待つていて、イゾルデ到着と同時にこと切れます。ここでイゾルデが「愛の死」を歌つて死ぬのですが、これがまた聞かせどころとあつて、延々と歌い上げ、オーケストラも最後まで鳴り響き、迫力は衰えません。
 幕間のインタービューで、指揮者のサイモン・ラトルさんは、オケの音は大きく響かせるが、そのあと空中に押し出して漂わせる、とおつしゃていました。でもそんなにふんわりと漂つているようには聞こえませんでしたね。それは劇場に座って、ライブで聞いてこそ、実感するこ
とかも知れませんが。
 再び「媚薬」の話ですが、イゾルデの婚約者を殺した相手を愛するという後ろめたさと、 トリスタンの恩ある叔父を裏切るという罪悪感を恋情に替えるために、「定められた運命だつた」という設定が必要だつたのかも知れません。
 オペラサロン主催者でワグネリアンの都築教授によれば、作曲者のワーグナー自身も現実に不倫の愛に悩んでいて、この物語を考えた、のこと。彼の苦しみと恋愛を投影したストーリーだったのであれば、媚薬を飲ませるという演出をを必要としたのかも知れませんね。
ともあれ、すつかり疲れてしまつて、帰途松坂屋へ寄るつもりが、買い物どころでなく、真つ直ぐ帰宅して早々に寝てしまいました。

(この画はトリスタンを想つて愁いに沈む、私の好きなイゾルデ。ウィリアム・モリス画)

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2016年10月31日