ヴァイオリンの聖地・クレモナを訪ねて

  平成28年5月17日より24日まで、水谷会長の企画のもと、流砂エージェンシーの谷岡社長のガイドにより、総勢17人で『北イタリア、オペラと観光の旅』に参加する機会をえました。鑑賞したオペラと観光旅行の概略については、前号に水谷会長と天野会員が寄稿されていますが、22日は私のみ単独でクレモナを訪問しましたので、その旅行記を投稿させて頂きます K.545 竹内
 ミラノのスカラ座、トリノのレージョ劇場、そしてヴェネツィアのフェニーチェ劇場と、三晩たて続けにしかも最上級の席で本場のオペラを鑑賞させて頂き、その感激がまだ覚めやらぬまま、5日目はいよいよヴァイオリンの聖地クレモナを訪れる日となった。
 
当日、私以外のメンバーの16人は早朝にフィレンツェの観光ツアーに向かい、私のみミラノ中央駅より南東方向に約75Kmの鉄道の一人旅となった。幸い切符は、流砂エージェンシーの谷岡さんが事前に手配して下さっており、案内の電光表示に従って18番線より電車に乗り込む。
 イタリアの鉄道駅は、相変わらず発車ベルの音も案内アナウンスもないまま、静かに発車する。 車窓から見えるロンバルディア地方の田園風景
 ただ発着ダイヤは正確で、二階建ての列車は見晴らしもよく、車窓から糸杉の並木がところどころに立つロンバルディア地方ののどかな田園風景を堪能しながら、1時間そこそこでクレモナ駅に降り立った。イタリアに旅立つ前に、四国山市の西村真也会員(松山モーツァルト協会会長)より高橋明さんというヴァイオリン製作者をご紹介いただき、メールで連絡をとりあっていたので、駅まで出迎えに来て下さり、その方の工房を訪ねることができた。
クレモナ大聖堂(筆者後方)  古代ローマ時代を思わせる風格のある駅舎を出ると、きれいな花壇がいくつも設置された広場にでる。
 
 そこからクレモナ大聖堂へ通ずるガリバルディ通りを少し進んでから路地を右に入った閑静な住宅地に高橋さんの工房がある。天井の高い、床はタイル張りのお部屋に入ると、左側には重量感のある作業机が二つあり、その前の壁面にはヴァイオリンを製作するために使う各種ノミやノコギリ類が多数整然とつり下げられている。この部屋は、もう一人のヴァイオリン制作者である菊田浩さんと一緒に借りているとのことでした。
 ちなみに菊田さんとは、数年前の名古屋モーツァルト協会の例会に西村会員と一緒に参加されたことがあり、面識があったのだが、ちょうど私たちがイタリアに来るのと入れ違いで日本に帰国されており、お会いすることができなかった。菊田さんは、2011年のチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン制作部門で優勝され、例会ではその優勝作品の楽器を持って参加されたのだった。そして、なんと高橋明さんは、そのコンクールで準優勝されていたのだ。(高橋さんのヴァイオリン制作者としての輝かしい業績については、末尾にホームページからその一端を引用させていただく)
 まだ日曜の午前中のため、市内のどの商店も閉まっているため、暫く工房の中の材木類や道具類を見学させていただいた。そのうちに、「真似事でもよいから、余っている木材を使ってヴァイオリンを作る作業の一部をさせて欲しい」とズーズーしくお願いしたところ、OKの快諾を頂く。
 さっそくヴァイオリンの表板と裏板の外形のすぐ内側に沿って描かれている二本線を作る作業を実際にやってみることになった。そしてこの「二本線」は、パーフリング(Purfring)と呼ばれ、実はなんと「象嵌細工」だったのだ。
 まず、わずか1ミリ幅で並んだ鋭い二枚刃で、表板の外形の曲線に沿って切り込みを入れる。次に別の工具で、外形線を傷つけないよう垂直に深く掘削し、丁度道路の側溝のような溝を形成する。深さは約2〜3ミリ程度。溝の底はまだデコボコなので、また別のノミで平らにならす。次は、別に作っておいた、二枚の黒板で一枚の木材をサンドイッチされた非常に薄い帯(厚さはやはり1ミリ)を、形成された溝に挿入する。表板の表面との段差は、精密なカンナでならす最終仕上げを行うと、なんと二本の黒線が浮き出てくるのである。
<ヴァイオリンの外形のすぐ内側の二本線(矢印)がパーフリング> 『さすが歯医者さん、安心して見ていられるよ』とのお褒め(?)のお言葉におだてられながら、悪戦苦闘の1時間。途中何度も手伝って頂いて、ようやく2センチのパーフリングができた。
<パーフリングを作成するための4本の器具> 今回、ほんの一部ではあるが、ヴァイオリンの製作に使われる本物の木材を専用の工具を使って加工する作業する体験をしみて、改めてヴァイオリン製作の奥深さと難しさを実感した。
写真はその練習作品と使用した工具類である。
 そして、かつてヴァイオリンの練習に励み、またヴァイオリンの演奏を何度も聴いていても、制作者が如何に情熱と技量を注ぎ込んでヴァイオリンをいう楽器を製作してきたかに、思いが至っていなかったことを恥じたのだった。午後は、クレモナ大聖堂の前のレストランでムール貝のスパゲティに舌鼓を打ったあと、
マルコーニ広場にあるヴァイオリン博物館(Museo del Violino)を訪問。
 幸い日曜日でも開館しており、見学者もまばらなのでゆったりと見学できた。
<ヴァイオリン博物館(Museo del Violino)の入口にて>
 この博物館は、それまでクレモナ市内のコムーネ宮にあった<ヴァイオリン・コレクション室>と<ストラディヴァリウス博物館>の二つの場所に分かれていたものを、2012年にクレモナのヴァイオリン製作技術がユネスコの無形文化遺産に認定されたことを受け、この統合されたものだ。 レンガ造りの美しい博物館は大きく9つの部屋に別れた展示室と室内楽ホールから成っている。
 ヴァイオリンの製造過程を示すパネルやヴァイオリン工房を再現した部屋もある。また実際にストラディヴァリウスが使った700点以上に及ぶ歴史的な製作工具や図面や型なども大切に保管され、依頼すればスライド式ケースのガラス越しに見ることができる。
<ストラディヴァリ像と並んで座る筆者>  何と言ってもこの博物館の目玉は、アマティ、ガルネリウス、ストラディヴァリウスたちの美術品のようなヴァイオリンの名器がガラスのケースの中に保管され、ひとつひとつ鑑賞することができることだ。
 『アマティと比べて、ストラディヴァリが製作したヴァイオリンは、表板と裏板の豊隆がより少ないのです。見比べてください』という高橋さんの説明を聞くと、なるほどガラスケースを通して横から見比べてみると、確かにストラディヴァリはより平板な感じをうける。
 実は、私は一度だけ、アマティが製作した本物のチェロを目の前で聴いたことがある。それは、かつて学生オーケストラのメンバーだった時、蓼科高原で合宿があり、その当時トレーナーの益田さんという方が、桐朋音大から借りてきて、モーツァルトのディヴェルティメントの一節を弾いて下さったのだ。いままで全く聞いたことない、まるで天国からの調べが舞い降りてくるかのような甘い芳醇な音色に、聞き惚れてしまったことを、今あらためて思い出されるのだった。
 幸いこの日の午後に、<クリスビー1669>と呼ばれるストラディヴァリ製作のヴァイオリンを生演奏するミニコンサートが館内で催されとのことで、早速拝聴する。演奏家はクリッサ・ベヴィラクアという若手女流ヴァイオリニストで、パガニーニ作曲の奇想曲や映画『シンドラーのリスト』の主題曲などの名曲を、解説を交えて、なかなかの熱演であった。これは私の勝手な解釈だが、やはり300年以上経っている楽器なので、「芯のある、しかし渋い、少々枯れた音色かな」というのが率直な感想だ。
 ミラノに戻る列車まで、まだ時間があったので再び高橋さんの工房に戻ることになった。そこで今度は、あえてヴァイオリンに塗るニス(塗料)についてお伺いする。これはいわば企業秘密ともいえるもので、他の追随を許さない独特の音色を生み出すストラディヴァリの名器の秘密が<塗料>にある、とも言われてきた。幸い高橋さんは何のためらいもなく、塗料の材料や染料とそれらを溶かす溶媒を気安くみせて下さる。そして塗料には<オイル・ニス>と<アルコール・ニス>の二種類あること、一回塗ると乾かすのに一日かかるので、二回目は翌日になる。結局塗装に一ヶ月くらいかかるとのこと。
その後、高橋さんの最新作のヴァイオリンを弾かせて頂く。といってもヴァイオリンを練習しなくなって40年あまりも経っているので、全く弾けない。
 
工房で自作のヴァイオリンを演奏する高橋さん
 高橋さんは相当な腕前で、なんと私が嘗て取り組んでいたヨハン・セバスチアン・バッハが作曲した無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の<シャコンヌ>を練習されているのだ。ヴァイオリンの弦の擦り方や和音の微妙なズラシ方などを話し合いながら、また「ヴァイオリンの名器とは」などの談義に花が咲き、あっという間にお別れの時間となる。
 『自分は100年あるいは200年後にも評価されるヴァイオリンを製作したい』との高橋さんの並々ならぬ決意と情熱の言葉が、いつまでも耳に残る訪問でした。
高橋明氏の略歴:← タイトルをクリックしてください
 1970年大阪府枚方市生まれ
  13歳の時にヴァイオリンに魅せられ、演奏と制作を同時に始める。
 2000年にクレモナ国立弦楽器製作学校に留学。
 2005年第1回ルビー国際ヴァイオリン製作コンクール(チェコ)にて  優勝と同時に最優秀技術特別賞を受賞。
 2007年第2回アルヴェンツィス国際ヴァイオリン製作コンクール(ス  ロバキア))で第5位入賞。
 同年第13回チャイコフスキー・コンクール(ロシア)ヴァイオリン  製作部門で第2位。  
 2009年第3回ピゾーニエ弦楽器製作コンクール(イタリア)にて第1  位受賞。
 2010年同第4回ヴィオラ部門で第1位。
 2011年第4回アルヴェンツィス国際ヴァイオリン製作コンクール(スロバキア)で最優秀技術特別賞を受賞。
 2013年同第5回コンクールにて第一位ゴールドメダル受賞。
 宮地楽器ホームページ(特選品) ←ここをクリックして 高橋明制作ヴイラ、ヴィオリン商品説明の MP3 をクリックしてくださると、自身の製作楽器の音を聴くことができます。
 高橋明さんには、お忙しい中、私のために丸一日時間を割いてくださり、最後はクレモナ駅のプラットホームまで見送ってくださったことに、衷心より感謝するとともに、益々のご活躍をお祈りしています。
 そして機会があればまた是非ここを訪れたいと願っています。最後に、水谷会長の企画とリーダーシップのもとに、ミラノ、トリノ、ヴェネツィアの3都市での本場のオペラ鑑賞と、観光の旅に同行する機会をいただき、誠にありがとうございました
追記-1 塩川 悠子
 ここまで書いたところで、ストラディヴァリが製作した本物のヴァイオリンを手に取って弾いたことがあったことを思い出した。
 それは今から40年以上前の学生時代のことだった。塩川悠子さんというヴァイオリニストのリサイタルがあり、その演奏に感激して、楽屋まで押し掛けていったところ、ヴァイオリンケースに入れてあったストラディヴァリを『弾いてもいいよ』とおっしゃったのです。それで本当にいいのですかと尋ねたところ、『どうぞいいですよ』と重ねて言われる。それで恐る恐る天下の名器を取り出し、はじめは指ではじくピッチカートで解放弦の音を出してみた。しかしそれだけでは物足りなく思い、弓もお借りして、簡単なフレーズを弾かせて頂いた。これはあとで分かったことだが、塩川さんの持っておられたヴァイオリンは、往年の名ヴァイオリニストのヤン・クーベリックが愛用していた1715年製のストラディヴァリウス「エンペラー」で、ご子息で指揮者のラファエル・クーベリック氏から貸与されたものだった。
その時の率直な感想は、普通のヴァイオリンと同じように<弓でこすれば、取り敢えず音がでるには違いない。しかしそれではとてもとても本物のストラディヴァリウスの音ではない。ストラディヴァリ本来の音を響かせるには、この楽器と相当格闘しなければ、とても太刀打ちできないな、と思い知らされたのだった。<写真は塩川 悠子>
追記-2  イヴリー・ギトリス
チケット代を節約したため、席は最も安い最上階だった。そのため、演奏家の姿ははるか遠方の舞台の上に小さくしか見えない。しかしギトリスの奏でる音は朗々と響き、細部のニュアンスまで生き生きと訴えてくるのだった。
それで、もっと近くで聴けば、指使いも見えるし、きっとより豊かな音色が聴けると期待して、休憩時間のあと、一階の舞台近くの袖の空席にこっそり潜り込んだ。しかし、期待に反して音量も、響きも全く良くなく、がっかりしてしまった。
 よく言われることだが、近くでは結構響くが遠くではさっぱり聞こえてこない二流楽器のことを、<そば鳴り>という。確かにギトリスの演奏スタイルは一昔前のもののため、現代的な演奏とは言えなかったかもしれない。しかし、三百年以上前に作製されたヴァイオリンの名器の威力と魅力をまざまざと実感させられたのだった。<完>

 

2016年10月31日