言葉の達人モーツァルト

言葉の達人 モーツァルト K.515 鐘ヶ江 毅
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(以下、モーツァルト)は、日常はどのような言葉を話していたのであろうか。
父レ-オポルトは南ドイツ・ミュンヘン市に近いアウクスブルグ出身なので、いわゆる「バイエルン方言」、母アンナ・マリアはオーストリア・ザルツブルク市近郊のザンクト・ギルゲン出身なので、オーストリア・ドイツ語、いずれも「バイエルン・オーストリア・ドイツ語圏」に属する。
モーツァルトは、その両親の子供として、ザルツブルクで育ったので、
「バイエルン・オーストリア・ドイツ語圏」の中の「ザルツブルク方言」を話していたことになる。
1770年6月、イタリア・ナポリから姉ナンネルに宛てた手紙の中で、モーツァルトは「ザルツブルク弁で話しましょう」と書いている(文献1)。 当時の「ザルツブルク弁」がどのような言葉であったかは分からないが、(文献2)によると、バイエルン・オーストリア・ドイツ語は、「高地ドイツ語圏」(標高が高い地域のドイツ語圏)に属するので、北の「低地ドイツ語」(標準語)と違い、また、当時の方言が今も変わっていないとすれば、 モーツァルトは、
① 「こんにちは」を、「グ-テン・タ-ク」(Guten Tag)ではなく、「グリュス・ゴット」(Grüß Gott)、
② 「わたくし」は「イヒ」(ich)ではなく、「イ」(i)、
③ Salzburgは、語頭のSを濁音とせず、「サルツブルク」、などと、ソフトな響きのドイツ語を話していたかも知れない。
父 レーオポルトは、1760年(4歳)ごろから、モーツァルトに対して、ヴァイオリンやクラヴィアのレッスンと共に学校教育に代えて、文字や数字の教育や、外国語教育にも力を入れ始めた。
1764年(8歳)には、一家はパリ経由英国に渡るが、モーツァルトはロンドンでモテット「神はわれらの避けどころ」(God is our Refuge,K20)を作曲し、大英博物館に寄贈した。その自筆譜には、彼自身が書いた英文字が見える。(文献3)
後に英国に渡航しようとした時、英語に取り組もうとした資料があるが
(文献4)、英文の手紙は残っていない。
1846年に、ナンネルの親友であった通称カテルル嬢に宛てたモーツァルトの最初の手紙(1769年、13歳)が発見されたが、それはラテン語で書かれていた。このころ、モーツァルトは集中的にラテン語を学んでいたようで、高橋英郎氏は、その著書の中で、この手紙に関して、「モーツァルトは、彼女の了解を得た上でラテン語の手紙を書いたが、いたずら心から、彼女のラテン語力を試そうとしたのではないか」と書いている。(文献1)1770年(14歳)には、ラテン語の2曲のモテットを作曲したり、その後、多くのモテットを書いているが、中でも「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(Ave verum corpus, K618)注 は有名である。
モーツァルトは、早くからラテン語に習熟していたと思われる。
レーオポルトは、ラテン語と共に、音楽を志す者の必須科目であったイタリア語教育にも力を入れた。
1769年(13歳)の最初のイタリア旅行に備えたに違いない。旅先からナンネルに宛てた第一信はイタリア語であった。
また、その後、1778年(22歳)には、モーツァルトは、パリから、結局は失恋したマンハイムのソプラノ歌手アロイジア・ウェーバー嬢宛てに手紙を書いているが、それは全文イタリア語であった(文献3)  ・・・
フランス語は、ナンネル宛ての手紙の中で、イタリア語、英語などと共にちゃんぽんで単語が出てくるが、フランス語単独の手紙は見当たらない。しかし、1778年パリで母と死別し、葬儀等も自身で行ったようなので、かなりのフランス語力があったと思われる。ただ、同年パリから父親に宛てた手紙に「このいまいましいフランス語と言うやつ」と言う表現があるので、あまり好きではなかったらしい(文献5)。
モーツァルトは音楽の「神童」であると同時に、子供のころから語学の達人でもあった。その達人はどの様にして作られたのか。以下は筆者の試論である。
その第1は、極めて優秀な先生がいたからである。それは他ならぬ
父レーオポルトであった。彼は、前述のように、早くから息子の音楽的才能を認めて、その訓練を施す一方、学校教育にも劣らぬ基礎教育を行った。その中でも、上記のように語学教育を重視し、それを集中的に行った。 
第2に、言語は、本来、子供が親を模倣して、音から学ぶものであるが、それは音楽と合い通ずるものがある。だから、モーツァルトは言語学習の素質が十分にあったと思われる。それに加えて、彼は「優れた師の教えを瞬時にして自らの創作能力に転化できる恐るべき学習能力を持っていた」と言われている。(文献6)
 
第3に、語学教育に関しては、それが、言葉への好奇心が強く、しかも習熟速度が速い幼児期に行われたことも寄与している。 

第4に、広範囲、長期間にわたる多くの旅行が欧州諸語の習得に役立ったと言える。

第5に、ラテン語、イタリー語、フランス語、スペイン語などは、ロマンス(ローマ人の)語と言われるように、共に同根であり、また、ドイツ語と英語はゲルマン語と言われるように、相互に似た単語が多く、ラテン語も多く入っている(文献2)。
ヨーロッパ人であるモーツァルトは、ヨーロッパ諸語を学習しやすい環境にあった、と思われる。以上に加えて、モーツァルトは、国境を越え、時代を超えて通用する、優れた「音楽言語」を持っていた。正に「言葉の達人」であった、と言えよう。
(注)ラテン語のAve verum corpus は、通常、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と、veが「ヴェ」と英語読みされているが、ラテン語読みでは、vは英語のw(ウ)と同じ音(子音)なので、「アウェ・ウェルム・コルプス」となる。(文献7)                (完)

(参考文献)
1.高橋英郎著「モーツァルトの手紙」、小学館、2007年
2.河崎靖著「ドイツ方言学—ことばの日常に迫る」、現代書館、2008年3.田辺秀樹著「モーツァルト」、新潮文庫、1984年
4.近藤昭二著「モーツァルト99の謎」、二見文庫、2006年
5.国際モーツァルテウム財団編「モーツァルト91」、集英社、1991年
6.中野雄著「モーツァルト 天才の秘密」、文春新書、2006年
7.大西英文著「はじめてのラテン語」、講談社現代新書、1999年

 

2016年03月01日